2018年12月08日

ご寄付の状況について【2018年12月8日現在】

「レスパイトハウスプロジェクト」をお見守りくださる皆様へ。

急に冬本番の寒さがやってきましたが、いかがお過ごしですか?

さて、一般社団法人カナリアハートでは、設立以降このプロジェクトについてのご協力をいただきたく、様々な形で告知活動をしてまいりました。
まずはホームページを作成、ツイッター等でお知らせする事に始まり、また、その社会的意義を理解くださる記者の方々により新聞に掲載していただきました。

おかげさまで、自分たちの交流できる範囲をはるかに超える様々な立場の方たちにも、私たちの取り組みを知っていただける事になりました。

反響も多く(メール、電話等)いただきました。その多くは共感や応援のお言葉、そして完成を心待ちにしているという要望、そして、多くはありませんがご批判のお電話もありました。

そんな中、少しずつご寄付の振込をいただき、「レスパイトハウス」という目的に向けて着実に進んでいることを実感します。
ご寄付のおよそ9割が、全く面識のない方々からのお志であることは、「レスパイトハウス」を必要とされる方たちが多いことの証左でしょう。

皆様の暖かいお気持ちに励まされる一方で、寄せられる期待に身の引き締まる思いもしております。
これからもハウスの完成に向けて地道に活動してまいりますので引き続きお見守りいただければ幸いです。

一般社団法人カナリアハート

【2018年12月8日現在のご寄付合計】
1,425,000円


一般社団法人カナリアハートの公式サイト⇒https://canariaheart.org/

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ご寄付について【ご案内】◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

※1)全ての理事は一切の報酬なしで活動しております。ご寄付は全額、宿泊施設の建設及び運営費、また遺族支援に関する諸々の費用(当法人定款に基づく)としてのみ使わせていただきます。使途は全て公開します。
※2)万が一、目的が達成されず法人が解散された場合には当法人定款に則り非営利の遺族支援団体等に全額寄付します。
※3)一般社団法人のため、寄付控除は受けられません。
※4)領収書やお礼状、経過報告(ニュースレター等)の送付をいたしたく、差し支えなければお名前やご住所等、当ホームページのメールフォームより連絡いただければ幸いです。
(メールアドレス:canaria.cocoroアットマークgmail.com)
※5)ご寄付の時点で、上記の内容にご了承いただいたとし、その後の返金はいたしかねます事をご了承ください。

◇ゆうちょ銀行 
◆ゆうちょの口座よりお振込みの場合、現金でお振込みの場合
 記号:12000  番号:22912461
◆他行よりお振込みの場合
 店名:二〇八(ニゼロハチ) 店番:208  (普通)口座番号:2291246

◇岡崎信用金庫 半城土(はじょうど)支店
 口座番号:9035435   

◇住信SBIネット銀行
 支店名:法人第一支店   支店番号:106   口座番号:1312008

(名義はどれも「一般社団法人カナリアハート」です) 

※代表理事の山田が「NHKラジオ深夜便」に出演します。12月14日(金)早朝4時台の、40分程度のインタビューのコーナーで、指導死(自殺)問題から、カナリアハートの取り組みに至るまでお話させていただきます。お聴きいただければ幸いです。
posted by カナリアハート at 16:46| 寄付金の進捗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月04日

レスパイトハウスについての取り組みが記事になりました。

2018年12月3日付しんぶん赤旗に掲載していただきました。
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おかげさまで、昨日から何本ものお電話を頂戴しております。
幸いな事に、全て応援と励ましのお電話でした。

皆さん、生きてきた中で様々なご苦労や身近な方との離別を経験されたことで、今回の新聞記事に思い通ずるところがあったのでしょう。心からの応援の言葉の数々に、涙しながらお礼を申し上げました。

皆さんの応援のお気持ちに、速くお応えできるよう、頑張りたいと思っています。
ありがとうございました。
posted by カナリアハート at 21:14| いろんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

偏見なんか気にしなければ良いのに、と考える人へ。

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自死(自殺)に対する偏見はいたるところで散見します。

そんなの気にしなければいいんだよ、と言われたことがあります。
堂々として、偏見や悪口なんてはねのければいい、そう言われた人もいます。

私の娘の話をしましょう。
小6の時にお兄ちゃんを自死で亡くした娘は、その後も変わらず学校に通いました。
中学校に入学してからも元気に登校していました。登校をしぶったことはありませんでした。

中学校は全校あげての様々な取り組みがあります。
たとえば「命の授業」と題して、事故で障害を持つ身になりながらも頑張っている方をお招きしての講演。
それから「いじめ撲滅週間」と称して、様々な方法でいじめは良くないと教える授業。

ある日。体育館での「命の授業」の講演が終わり、子ども達が教室に戻るときのこと。
廊下で娘は同級生の男子たちから「お前の兄ちゃんは“命”を粗末にしたんだよな」と言われたそうです。

障害を追っても決してあきらめず日々を生きている人の話を通して、学校は「障害がある〇〇さんがこんなに頑張って生きている。だから君たちも命を大切に、頑張って生きなさい」と伝えたいのでしょう。

もちろん社会で様々に活躍されている方をお招きしての講演会は、子ども達にはとても有益なことでしょう。
社会には、いろんな人がいる、ということを知るのは大切なことです。

しかし一方で、娘のように、家族を自死で亡くした遺族にとっては、辛い話でもあります。
「この人はこんなに頑張っているのに、自殺したお兄ちゃんは頑張れなかったのか?弱かったのか?」
まだ10代前半の子どもがそう思ってしまっても仕方がありません。600人以上の生徒数の中学校で、親戚などがそのように亡くなっている生徒もおそらくいることでしょう。

ではどうしたら良かったのでしょうか。
それは、その講演の前後に、担任からきちんと話をしておくことだと思うのです。
頑張っている人も世の中にはいるけれど、世の中には追いつめられて自死する人もいること。
本人の頑張りの結果だけではないことが世の中にはたくさんあり、一つの話を他にも当てはめることの愚かさを子どもたちに説いて聞かせる、という事が、貴重な講演を活かすためにも大切だということ。

ただ単に、立派な肩書きを持つ人や、社会で活躍している人を招いて講演をしてもらったら、それで年間の学校行事の報告書が埋まる、と考えていてはあまりにも短絡的ではありませんか。まだ発達途上にあるこども達が貴重な講演をどのように受け止めるかは、講演者ではなく、むしろ日々子ども達を教え導く教員の力量にかかっていると私は思います。

娘はそれからも学校で、いじめに関する授業で「いじめ自殺」についての授業等、「命」の話題が学校で出るたびに、クラスメイトや、時にはクラス外の生徒から「お前の兄ちゃん、自殺したってバカじゃねーの?」などと自死した兄について何度も言われたそうです。

また「いじめ防止週間」として全校生徒にいじめについてのプリント(教員作成)を配布し、読ませて感想文を書いて提出するという取り組みがありました。そこには、いじめ自殺をした子ども達の記事(どんないじめで、どんな手段で、発見者は誰で、と詳細に書かれた記事などの丸写し)が数件書かれていたのです。娘は何か書かないといけないと思い、「自殺はいけないと思いました」と書いて提出していました。

そんな事がありながらも娘は仲の良い友達に心配かけたくないからと学校に通い続けていましたが、ついにある日娘はこう言いました。

「おかあさんどうしよう。学校で笑わなくちゃいけないとわかっているのに、どうしても笑えなくなっちゃった。
どうしたら笑えるかなあ」

私は仰天して、「いつも笑う場面と判断して笑ってたの?!」と尋ねると「みんな(仲の良い友達)が心配するから、私は大丈夫大丈夫、って笑っていないといけないから」と答えました。「今まではちゃんとできていたのに、どうしてもできなくなったから、どうしよう」

私は、学校に通い続ける娘を、良い友達がいるから、娘も楽しく学校に行けているのだと思っていました。
良い友達のおかげで、お兄ちゃんの事は学校では忘れていられるのかな、とも思っていました。

我が子を一人、自死という形で亡くした私は、残った子ども達をなんとしても守らねば、と強く思っていましたし、学校にも出向いて校長や担任にも事情を説明し、なにかあればすぐ連絡をとれるようにしていました。

それなのに、こんな事に。笑えないなんて普通の精神状態ではありません。それでも学校を休みたがらない娘を一週間だけでいいからと無理に学校を休ませたのですが、そのまま3か月以上の不登校になりました(よほど家が楽だったのでしょう)。それからやっと、学校でこれまで言われたことなどを全部話してくれたのです(それが、上の話)。

一度怖い思いをしたら、誰しも二度目にチャレンジすることが怖くなるでしょう。
ひとたび人に裏切られたら、「この人も裏切るのではないか」と疑心暗鬼になるでしょう。

娘は学校で、「いのち」というキーワードが出るたびにどれほど怖い思いをしていたのだろう。と想像しました。
また誰かが「お兄ちゃんが自殺した子だ」って噂してるかもしれない。休み時間に「お前の兄ちゃん、心弱すぎ」って言われるかもしれない。
怯えながら過ごしていたかと思うと、校長や担任を信頼して「何かあったらすぐに連絡をください」とお願いして安心していた自分が本当に情けなく、娘に申し訳なく思うのです。

その後、高校に進学した娘は、そこでもまた疑心暗鬼に悩まされます。お兄ちゃんの事で影で何か言われているんじゃないかと思い、新しい友達を作るのも怖かったそうです。

でもようやく、席が近くで仲良くなったクラスメイトに、話の流れから「実はうちのお兄ちゃん、自殺したの」と打ち明けたところ、「あー知ってる知ってる」と軽く返されたそうです。
学区内ならともかく、明らかに遠くから来ている生徒さんなので、まさか知らないだろうと思っていたのに、と娘はショックを受けていました。

知っていても気にせずに友達になってくれたってことだから、それは良いことなのかもしれません。でも、まさか知られていないだろうと思っていたら、既に自分についての噂が出回っている事に、娘は泣きました。

他人からの偏見は気にしなければいい、と他人が言っても「また言われるのではないか」とか「この人はどう思っているんだろうか」と疑心暗鬼になり、人は疲弊していきます。大人も同じですが、学校という狭い社会の中にいる子どもたちにはなおさらです。

しかし皮肉なことですが、こんな経験が積み重なり娘は強くなってきました。

高校3年の時、自由なテーマで作文を書き発表するという国語の授業があり、書いたものを授業中に毎回5人ずつ発表したそうです。
名簿順の発表だったので、娘の発表はまだ数日先でした。

テーマが自由だったにも関わらず、作文の見本が「命について」というものだったためか、順番に発表した生徒の数人が「命」の作文を発表したそうです。

娘は怒りました。
鉄道が人身事故で遅れたりするたびに、クラスの中で「迷惑だよね」「死ぬなら他の場所でやれよ」と口悪く言っている生徒たちが、命をテーマにする事が許せなかったそうです。

娘は既に他のテーマで作文を仕上げていたのですが、急きょ変更して「今からお兄ちゃんの事を作文に書く」と宣言し、一晩で仕上げてしまったのです。

そして娘は、クラスで、兄の自殺についての作文を読んだのでした。

それくらいに強くなりました。

そんな娘ですが、少し前に、居酒屋でバイトをした時、またもくじけることがありました。

店長は威勢の良いよく働く30代前半の男性で、面倒見もよく、娘は「店長良い人」と言っていたのですが、ある平日のお客様が少ない時間に店長と雑談をしていたところ兄弟の話になり、店長を信頼していた娘は兄の話を打ち明けたそうです。

すると店長は「お前なー、そんなのお前の兄ちゃんが弱いだけだぞ」と吐き捨てるように言い放ったそうです。
娘はその日限りで、店を辞めました。

社会生活を送る以上、他人と接することは避けられません。
でも故人を大切に思えば思うほど、社会生活で常に気を張った生活をすることになるのです。

「レスパイトハウス」は、そういった状況からはなれて、体の緊張をほぐすためにも利用していただければと思います。

また、自死だけではなく、事故であっても、事件被害者や、時には加害者家族でも、人と接する時の緊張感は絶対にあります。
そういった状況から少し離れた時間を持つために「レスパイトハウス」を利用していただけるようになればと願っています。

レスパイトハウスのカナアリアハートのHP⇒https://canariaheart.org/
posted by カナリアハート at 16:05| いろんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月28日

私たちは「心のケア」をしません。

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自死遺族になってから知ったのが、「自死遺族を支援する」とうたう団体(任意、法人を問わず)の多さです。
2006年に「自殺対策基本法」が制定されて以来、さらにその数が増えてきたのではないでしょうか。

たとえば、お買い物をする時に選択肢があることは嬉しいことです。
高価だけれど品質の良い商品にしようか、品質はさておき安価で懐に優しい商品にしようか、デザインを重視するか何より機能を重視するか等、自分の価値観と懐具合によって商品を選べるのはありがたい事です。

自死遺族の支援も似ているのでは、と私は思います。
身近な人を突然亡くした時に、どんな支援が選択肢としてあるでしょう。

1)専門的な知識を修得した医師やカウンセラーによるカウンセリング、あるいは投薬。
2)宗教家や思想家の言葉。
3)同じ経験をした先輩遺族に話を聞く、もしくは聞いてもらう。
4)気持ちよりなにより、まずは法的なアドバイス(瑕疵物件の問題や債務整理等)。
5)(あるいは、もう思い出したくない、忘れてしまいたい、そうしないと生きていけない、という人も間違いなく存在します。)

「レスパイトハウス」は、そのどれにも該当しません。
理事は全員自死遺族なので、強いて言うなら3番と思われるかもしれませんし、その役割ができないことはないと思います。

でも「レスパイトハウス」は、治療ではなく思想でもなく、「場所」が存在するだけです。
送り出すご家族も「そこに行くなら安心」と理解して送り出してくれる確実な保養所。

私たちには何もできません。ただただ、安心して過ごせる家を、常にきれいにしてお待ちしたいと考えています。
身近な人を亡くした悲しみを忘れたい人も、忘れたくない人も、身近な人を亡くしたことで、生きることが以前より難しくなってしまっている方が、いつでも「ちょっと一人になりたい」と思う時に待っている場所。

そんな場所が日本にひとつくらいあってもいいと思いませんか?

私たちは発起人であり、運営者でしかありません。
このプロジェクトに賛同してくださった皆さんが、「自分もいつか行くかも」というお気持ちで、1000円程のご寄付をしていただければ、あっという間にレスパイトハウスは完成すると思います。

日本で、年間に自死で亡くなる人は2万人以上。たとえば家族が4人いたとしたら、自死遺族は年間8万人も生まれていることになります。
これが、親戚や職場の同僚や、かつての級友が、と考えたら、いったいどれだけの人が、自死で亡くなった人を思い苦しい日々を過ごしていることでしょう。または、ご遺族の同僚や知人友人も、どう声をかけたらいいのか、胸を痛めている方もどれだけいることでしょう。

「レスパイトハウスっていうのがあるんだって」と、いつか誰かに勧めたくなる場所を、作りたいと考えています。
(クラウドファンディングで寄付を集めるという手法もありますが、今のところする予定はありません。その理由はまたいずれ)

「一般社団法人カナリアハート」の公式サイトはこちら⇒ https://canariaheart.org/











posted by カナリアハート at 12:03| レスパイトハウスについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

大きな力をいただいた話。

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中日新聞に「レスパイトハウス」についての記事が掲載されてから、これまでに多くのお電話を頂戴しました。その中で、ある方と名古屋駅で待ち合わせてお会いしました。ご寄付を直接手渡ししたい、というお申し出をいただいたからです。

初対面なのに、とても親近感が湧いたのはなぜかわかりません。傍から見たらとても初対面の二人には見えなかったと思います。

お互いの子どもの話に花が咲き、亡くなった子どもの事を笑顔で他人に話せるなんて思いもしなかった、と彼女は言い、その後、決して少なくない金額の寄付を手渡ししてくださいました。正直、初対面でこんな多くの金額をいただくことに抵抗すらしたのですが、彼女はこんな話を聞かせてくれました。

成人し、離れて暮らしていた息子さんが時折帰ってくることが楽しみだったそうです。
現在は、家で一人でいるといろんな事を考えてしまう。

だから、仕事を複数こなし、忙しく過ごしているそうです。幸い職場はどこも良い関係で続けているとのこと。
でも家でもなにかできることはないかと、空いた時間に内職をするようになったそうです。

手を動かしていれば余計な事は考えずに済む、そう思っても、きっと作業をこなしながら思うことは、息子さんの
事でしょう。私も、息子が生まれた時からの事を、一体何度思い返したことでしょう。

今回のご寄付は、その内職の一年分のお給料だということでした。
「このお給料を何に使おうか、って思ってた時に新聞記事を読んで、これだ、と思いました」とおっしゃってくださいました。
HPにも目を通してくださり、自分と同じ思いの人がいると思ってくださったそうです。そして衝動的にメールをくださったそうで、普段はなかなか行動に移さない性分なのに「おかあさん、次はこれだよ」と息子さんに背中を押された気がしたともおっしゃっていました。

私は、「レスパイトハウス」プロジェクトを、もしかしたら無謀な取り組みなのではないか、といつも考えています。賛同してくれる人がいったいどれだけいるのだろう?これまでにこういった場所がなかったということはすなわち需要がないということなのか?そんなことを常に(今も)自問自答し続けながら進めています。決して自信があってしているわけではありません。

なので、今回かけていただいたお言葉にどれだけ勇気づけられたことでしょう。
目の前のお金、そしてそこに込められた思いを全部受け取って、絶対に有効に使わせていただきます、とお約束しました。
孤独なようで、必ず私たちは繋がっています。今の生活の中で目に見えなくても、声を上げないけれど、同じ思いの人がいることを確信できれば、私たちはまだ生きていけると思うのです。

いつか屋久島でお会いしましょう、とお約束してお別れしました。







posted by カナリアハート at 01:05| いろんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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