自死(自殺)に対する偏見はいたるところで散見します。
そんなの気にしなければいいんだよ、と言われたことがあります。
堂々として、偏見や悪口なんてはねのければいい、そう言われた人もいます。
私の娘の話をしましょう。
小6の時にお兄ちゃんを自死で亡くした娘は、その後も変わらず学校に通いました。
中学校に入学してからも元気に登校していました。登校をしぶったことはありませんでした。
中学校は全校あげての様々な取り組みがあります。
たとえば「命の授業」と題して、事故で障害を持つ身になりながらも頑張っている方をお招きしての講演。
それから「いじめ撲滅週間」と称して、様々な方法でいじめは良くないと教える授業。
ある日。体育館での「命の授業」の講演が終わり、子ども達が教室に戻るときのこと。
廊下で娘は同級生の男子たちから「お前の兄ちゃんは“命”を粗末にしたんだよな」と言われたそうです。
障害を追っても決してあきらめず日々を生きている人の話を通して、学校は「障害がある〇〇さんがこんなに頑張って生きている。だから君たちも命を大切に、頑張って生きなさい」と伝えたいのでしょう。
もちろん社会で様々に活躍されている方をお招きしての講演会は、子ども達にはとても有益なことでしょう。
社会には、いろんな人がいる、ということを知るのは大切なことです。
しかし一方で、娘のように、家族を自死で亡くした遺族にとっては、辛い話でもあります。
「この人はこんなに頑張っているのに、自殺したお兄ちゃんは頑張れなかったのか?弱かったのか?」
まだ10代前半の子どもがそう思ってしまっても仕方がありません。600人以上の生徒数の中学校で、親戚などがそのように亡くなっている生徒もおそらくいることでしょう。
ではどうしたら良かったのでしょうか。
それは、その講演の前後に、担任からきちんと話をしておくことだと思うのです。
頑張っている人も世の中にはいるけれど、世の中には追いつめられて自死する人もいること。
本人の頑張りの結果だけではないことが世の中にはたくさんあり、一つの話を他にも当てはめることの愚かさを子どもたちに説いて聞かせる、という事が、貴重な講演を活かすためにも大切だということ。
ただ単に、立派な肩書きを持つ人や、社会で活躍している人を招いて講演をしてもらったら、それで年間の学校行事の報告書が埋まる、と考えていてはあまりにも短絡的ではありませんか。まだ発達途上にあるこども達が貴重な講演をどのように受け止めるかは、講演者ではなく、むしろ日々子ども達を教え導く教員の力量にかかっていると私は思います。
娘はそれからも学校で、いじめに関する授業で「いじめ自殺」についての授業等、「命」の話題が学校で出るたびに、クラスメイトや、時にはクラス外の生徒から「お前の兄ちゃん、自殺したってバカじゃねーの?」などと自死した兄について何度も言われたそうです。
また「いじめ防止週間」として全校生徒にいじめについてのプリント(教員作成)を配布し、読ませて感想文を書いて提出するという取り組みがありました。そこには、いじめ自殺をした子ども達の記事(どんないじめで、どんな手段で、発見者は誰で、と詳細に書かれた記事などの丸写し)が数件書かれていたのです。娘は何か書かないといけないと思い、「自殺はいけないと思いました」と書いて提出していました。
そんな事がありながらも娘は仲の良い友達に心配かけたくないからと学校に通い続けていましたが、ついにある日娘はこう言いました。
「おかあさんどうしよう。学校で笑わなくちゃいけないとわかっているのに、どうしても笑えなくなっちゃった。
どうしたら笑えるかなあ」
私は仰天して、「いつも笑う場面と判断して笑ってたの?!」と尋ねると「みんな(仲の良い友達)が心配するから、私は大丈夫大丈夫、って笑っていないといけないから」と答えました。「今まではちゃんとできていたのに、どうしてもできなくなったから、どうしよう」
私は、学校に通い続ける娘を、良い友達がいるから、娘も楽しく学校に行けているのだと思っていました。
良い友達のおかげで、お兄ちゃんの事は学校では忘れていられるのかな、とも思っていました。
我が子を一人、自死という形で亡くした私は、残った子ども達をなんとしても守らねば、と強く思っていましたし、学校にも出向いて校長や担任にも事情を説明し、なにかあればすぐ連絡をとれるようにしていました。
それなのに、こんな事に。笑えないなんて普通の精神状態ではありません。それでも学校を休みたがらない娘を一週間だけでいいからと無理に学校を休ませたのですが、そのまま3か月以上の不登校になりました(よほど家が楽だったのでしょう)。それからやっと、学校でこれまで言われたことなどを全部話してくれたのです(それが、上の話)。
一度怖い思いをしたら、誰しも二度目にチャレンジすることが怖くなるでしょう。
ひとたび人に裏切られたら、「この人も裏切るのではないか」と疑心暗鬼になるでしょう。
娘は学校で、「いのち」というキーワードが出るたびにどれほど怖い思いをしていたのだろう。と想像しました。
また誰かが「お兄ちゃんが自殺した子だ」って噂してるかもしれない。休み時間に「お前の兄ちゃん、心弱すぎ」って言われるかもしれない。
怯えながら過ごしていたかと思うと、校長や担任を信頼して「何かあったらすぐに連絡をください」とお願いして安心していた自分が本当に情けなく、娘に申し訳なく思うのです。
その後、高校に進学した娘は、そこでもまた疑心暗鬼に悩まされます。お兄ちゃんの事で影で何か言われているんじゃないかと思い、新しい友達を作るのも怖かったそうです。
でもようやく、席が近くで仲良くなったクラスメイトに、話の流れから「実はうちのお兄ちゃん、自殺したの」と打ち明けたところ、「あー知ってる知ってる」と軽く返されたそうです。
学区内ならともかく、明らかに遠くから来ている生徒さんなので、まさか知らないだろうと思っていたのに、と娘はショックを受けていました。
知っていても気にせずに友達になってくれたってことだから、それは良いことなのかもしれません。でも、まさか知られていないだろうと思っていたら、既に自分についての噂が出回っている事に、娘は泣きました。
他人からの偏見は気にしなければいい、と他人が言っても「また言われるのではないか」とか「この人はどう思っているんだろうか」と疑心暗鬼になり、人は疲弊していきます。大人も同じですが、学校という狭い社会の中にいる子どもたちにはなおさらです。
しかし皮肉なことですが、こんな経験が積み重なり娘は強くなってきました。
高校3年の時、自由なテーマで作文を書き発表するという国語の授業があり、書いたものを授業中に毎回5人ずつ発表したそうです。
名簿順の発表だったので、娘の発表はまだ数日先でした。
テーマが自由だったにも関わらず、作文の見本が「命について」というものだったためか、順番に発表した生徒の数人が「命」の作文を発表したそうです。
娘は怒りました。
鉄道が人身事故で遅れたりするたびに、クラスの中で「迷惑だよね」「死ぬなら他の場所でやれよ」と口悪く言っている生徒たちが、命をテーマにする事が許せなかったそうです。
娘は既に他のテーマで作文を仕上げていたのですが、急きょ変更して「今からお兄ちゃんの事を作文に書く」と宣言し、一晩で仕上げてしまったのです。
そして娘は、クラスで、兄の自殺についての作文を読んだのでした。
それくらいに強くなりました。
そんな娘ですが、少し前に、居酒屋でバイトをした時、またもくじけることがありました。
店長は威勢の良いよく働く30代前半の男性で、面倒見もよく、娘は「店長良い人」と言っていたのですが、ある平日のお客様が少ない時間に店長と雑談をしていたところ兄弟の話になり、店長を信頼していた娘は兄の話を打ち明けたそうです。
すると店長は「お前なー、そんなのお前の兄ちゃんが弱いだけだぞ」と吐き捨てるように言い放ったそうです。
娘はその日限りで、店を辞めました。
社会生活を送る以上、他人と接することは避けられません。
でも故人を大切に思えば思うほど、社会生活で常に気を張った生活をすることになるのです。
「レスパイトハウス」は、そういった状況からはなれて、体の緊張をほぐすためにも利用していただければと思います。
また、自死だけではなく、事故であっても、事件被害者や、時には加害者家族でも、人と接する時の緊張感は絶対にあります。
そういった状況から少し離れた時間を持つために「レスパイトハウス」を利用していただけるようになればと願っています。
レスパイトハウスのカナアリアハートのHP⇒
https://canariaheart.org/