中日新聞に「レスパイトハウス」についての記事が掲載されてから、これまでに多くのお電話を頂戴しました。その中で、ある方と名古屋駅で待ち合わせてお会いしました。ご寄付を直接手渡ししたい、というお申し出をいただいたからです。
初対面なのに、とても親近感が湧いたのはなぜかわかりません。傍から見たらとても初対面の二人には見えなかったと思います。
お互いの子どもの話に花が咲き、亡くなった子どもの事を笑顔で他人に話せるなんて思いもしなかった、と彼女は言い、その後、決して少なくない金額の寄付を手渡ししてくださいました。正直、初対面でこんな多くの金額をいただくことに抵抗すらしたのですが、彼女はこんな話を聞かせてくれました。
成人し、離れて暮らしていた息子さんが時折帰ってくることが楽しみだったそうです。
現在は、家で一人でいるといろんな事を考えてしまう。
だから、仕事を複数こなし、忙しく過ごしているそうです。幸い職場はどこも良い関係で続けているとのこと。
でも家でもなにかできることはないかと、空いた時間に内職をするようになったそうです。
手を動かしていれば余計な事は考えずに済む、そう思っても、きっと作業をこなしながら思うことは、息子さんの
事でしょう。私も、息子が生まれた時からの事を、一体何度思い返したことでしょう。
今回のご寄付は、その内職の一年分のお給料だということでした。
「このお給料を何に使おうか、って思ってた時に新聞記事を読んで、これだ、と思いました」とおっしゃってくださいました。
HPにも目を通してくださり、自分と同じ思いの人がいると思ってくださったそうです。そして衝動的にメールをくださったそうで、普段はなかなか行動に移さない性分なのに「おかあさん、次はこれだよ」と息子さんに背中を押された気がしたともおっしゃっていました。
私は、「レスパイトハウス」プロジェクトを、もしかしたら無謀な取り組みなのではないか、といつも考えています。賛同してくれる人がいったいどれだけいるのだろう?これまでにこういった場所がなかったということはすなわち需要がないということなのか?そんなことを常に(今も)自問自答し続けながら進めています。決して自信があってしているわけではありません。
なので、今回かけていただいたお言葉にどれだけ勇気づけられたことでしょう。
目の前のお金、そしてそこに込められた思いを全部受け取って、絶対に有効に使わせていただきます、とお約束しました。
孤独なようで、必ず私たちは繋がっています。今の生活の中で目に見えなくても、声を上げないけれど、同じ思いの人がいることを確信できれば、私たちはまだ生きていけると思うのです。
いつか屋久島でお会いしましょう、とお約束してお別れしました。