少し前の事ですが。
私は、自死遺族が「支援者」を名乗る人物によって酷く傷つけられる場面を目の当たりにしました。
辛い状況にかける言葉もなく同席していた私たちが目にしたのは、おそらく悪意はかけらもない自称「支援者」が、まさに心臓を抉り取るような言葉を放ち、さらに「私もこうしたことを心配する支援者ですから」と自分の正当性をアピールした一部始終でした。
「支援者」と名乗る人物が放った一言は、その場の空気を凍りつかせましたが、当の本人はまったくそのことに気づく様子もなく、自分が正しいことを言っていると信じて疑わない様子でした。
家族の一人を亡くし遺された人たちは、その中でも故人のためになにができるのか必死で模索しています。それを、深海の底を這っている、と表現した方がいましたが、その通りでもあり、時には水面でもがくようでもあり、空気さえ普通に吸う事のできないような気持ちの中、それでもできることをしなければ、と考えます。
しかし自称「支援者」と名乗る人物は、そんな遺族の思いをつゆほども想像できないのでしょう。
少しでも想像できたなら、周りにいた私たちでさえ心臓を抉られるような思いをした、あのような言葉をご遺族にかけられるはずがありません。
動けば動くほど自死遺族は傷つきます。
自死遺族でなくても、少しの想像力があれば、自死遺族と接することはさほど難しいことではないはずなのです。理解しきれないまでも、どれほどの辛さだろうと想像すれば、遺族が傷つくような言葉は出ないでしょう。
想像のかけらもなく、自分の生きてきた価値観のみで、自死遺族に「あなたそんなんじゃだめよ(要約)」と平気で言い放つ人間が少数ですが実際に存在して、多くの共感できる仲間に囲まれていたとしても、そんなごく少数なはずの人物が放つ、ほんの一言で、自死遺族はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けるのです。
その場で2人ほど、「支援者」に対して強く抗議しましたが、どうして自分が責められるのかわからない、という顔でなおも食い下がるその人物が、またどこかで同じことをするかもしれません。その言葉は刃となっていつか人を殺すでしょう。